「風立ちぬ」 観てきました [サブカルチャー]

宮崎駿、最後の作品だということで。


ジブリの作品、最後に見たのは「コクリコ坂から」。
これは宮崎駿の息子が作ったとかで、どんなもんだろうとの興味からわざわざ見に行ったのです。

その前が「千と千尋の神隠し」
ポニョとハウルは劇場で観ていません。

で。

風立ちぬの感想ですが…




子供を無視した完全大人向け作品、あー、うん、「コクリコ坂から」となんかかぶってる?これってアニメというより実写でいいんじゃない?というか

しかもなんか全体に古い。
60年代の実写映画観てるみたいな。

個人の感情を排除した伝記映画、まるでナレーターなしの「プロジェクトX」

青春をかけ、愛する奥さんすらほったらかしでゼロ戦作ったのはいいけども、、、、それが特攻に使われて、多くの若者が死んでいった。

最後の主人公二郎の言葉は「一機も戻ってきませんでした。」




宮崎駿は、ほかの監督ならきちんと視聴者に説明してるような設定でも主人公の感情でも、そこはあえて語らず、「勝手に察しろ、判らなきゃ判らないでもいいし」ってスタンスなんだろうと思うのですが、

「一機も戻ってきませんでした。」この言葉だけで、彼(二郎)の苦悩を理解しろとはあまりに乱暴な。

突っ込みどころはものすごく沢山あります。

私は常々、、、、なんで宮崎駿はユーミンを使うんだろうと思っていました。

ユーミン語録というのがありまして、これがネタだか彼女に対する嫌がらせだか知りませんけども、火のないところに煙は立たぬ

「私の音楽はブルジョア向けの音楽。貧乏人は相手にしてない」

「14番目の月」の発売インタビューの時、「私の歌は商業高校とかに行ってるコには聞いて欲しくない」

とび職の人に「学歴もなく土建業なんかをしてる人にコンサートにこられたら質が落ちる」

短大生の文化祭出演依頼を拒絶、「短大とは関係を持ちたくない」

とかさ、、、、、

なんでそんな人の曲を使うんだろうなと。ずっと思ってた。



風立ちぬ。

主人公たちは、いわゆるブルジョアの階級で、生活に追われることもなく、明日の飯に困ることもなく、ただひたすらに自分の夢を追うことができ、生活臭のない恋を満喫し、浮世離れした世界で夢を見て過ごしてる。


ゼロ戦に乗って死んでいった若者たちがどんだけ地べたを泥まみれで這っていたか、血反吐吐いて戦争に臨んでいたかなど知る由もない世界の住人。

菜穂子(ヒロイン)は架空の人物だそうですが、これがまた資産家の令嬢で。
なんであえて資産家の令嬢なわけ?

だから結婚したって、自分の病気の心配だけしてて、生活に追われることはないという。。。

主人公もそう。

関東大震災が起きたって、すべてを失うこともなく自分の趣味(勉学)に没頭できる環境が整ってる。

齢70にしてなんでこうも地に足のついてない夢物語を描いたんでしょう?

てかね、、もうね、、、

この作品、

どこもかしこも、、、、、、すべてが「夢」・・・・・・・なんです。



夢のような世界で夢のような美しくもはかない恋をして、自分の夢だけを追い続け、あこがれの師を夢見ては己の生き方、生み出したものを正当化し、、、、


風立ちぬの中では、これって必要?なほどに喫煙シーンがあります。

このタバコのシーンは、子供は観なくていい、という子供を拒絶したメッセージにも取れるのですが、



ディズニーアニメの「不思議の国のアリス」で、、芋虫がタバコ吸ってる。
それはとても幻想的でケムに巻くようなそんなイメージ。



なんか通じるものがあるなと感じました。


「夢」なんですよね。つまり。





まとめ。

宮崎駿が長年にわたって描いてきたのは「夢」の世界。

彼にとっての夢とは「姫さま」

生活に追われてギスギスすることなく美しく、力に満ち、この世の正義である理想の少女こそが、それこそは「生」の象徴。

人生の最後に描いた作品で、宮崎駿はその「生」の対象として自分を描いたと。

主人公の二郎は、宮崎駿その人に他ならない。

夢。
夢。
夢。

なにもかも、夢。

なんかユーミン語録のそのまんま。なんだなあ。。。と。

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